4月30日は「南部ベトナム解放記念日」

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みなさん、こんにちは!いしかわつかさです。

4月30日は「南部ベトナム解放記念日」でした。
1975年、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結した日です。
ベトナムの北(主にハノイ)と南(主にサイゴン※現ホーチミン)が一つになり、今のベトナムという国が完成した日でもあります。

少し歴史にも触れ、ベトナムという国を振り返ってみましょう。
また、旧市街にもふらっと行ってみたので、いつもと違った雰囲気だったので、少しだけ紹介します。

目次

南部ベトナム解放記念日とは

今から47年前の1975年4月30日に、サイゴンの南ベトナム大統領官邸(現在のホーチミン市の「統一会堂」)の正門に2台の戦車が突入しサイゴンが陥落しました。この瞬間、長く続いたベトナム戦争が終結しました。

その為、4月30日は「南部ベトナム解放記念日」として、ベトナムの祝日となっています。

ベトナムはフランスの植民地となっていましたが、第二次大戦中はドイツに敗北したフランスに成立したヴィシー政権と日本の二重統治になっています。そして第二次世界大戦終結を受け、1945年8月17日にベトナム八月革命が起こり、9月4日に 社会主義国家「ベトナム民主共和国」 が成立。
ホー・チ・ミン氏が初代国家主席に就任します。

しかし、1946年になるとフランスは再びベトナムへの支配を強め、ベトナム南部にフランス傀儡国 「ベトナム国」(南ベトナム) を成立させます。これにベトナム民主共和国が対抗して第1次インドシナ戦争が勃発しました。米国の支持を受けていたフランスがディエンビエンフーの戦いで敗北し、1954年7月21日にジュネーブ休戦協定で戦争は終結しました。

このジュネーブ協定では、 北緯17度線 を軍事境界線として、ベトナムを北の共産主義国と南の親西側陣営国に「一時的に」分割し、両軍の兵力分離を図ってから全国統一選挙を実施するということになっていましたが、米国と南ベトナムが調印を拒否。その後、南ベトナムでは米国の支持を受けたベトナム共和国が成立し、以降1975年まで分断国家の状態が続きます。

冷戦を背景に米国が軍事介入したことで泥沼化したのがベトナム戦争です。

ですが、1973年に米国が全面撤退を決めます。同年のパリ和平協定で「停戦」が謳われたことなどで全面攻撃を踏みとどまっていた北ベトナムが、1975年3月から全面攻撃を開始しました。米国からの大規模な軍事支援が途絶えていた南ベトナムは十分な抵抗ができず、中部から南部に向かって主要都市が次々陥落します。

今回は「南部ベトナム解放記念日」として扱っていますが、上記の通り、中部から順番に南部に向かって主要都市が陥落している為、実は各地に「解放記念日」があります。

南北の和平交渉は続けられていたものの、南ベトナムの大統領が次々と変わる事態となり決裂しています。そして、運命の日を迎えます。 4月30日朝、前日に就任したばかりのズオン・バン・ミン大統領が大統領官邸からテレビとラジオで無条件降伏を宣言した後、午前11時30分にベトナム軍の戦車が大統領官邸(現在の 統一会堂 )に突入し、 南ベトナムは正式に陥落という形となりました。これを「サイゴン解放」や「南部解放」、「南ベトナム解放」と呼びます。

©NgBK

南部解放記念日の看板。現在のベトナム国旗が全面赤地なのに対し、この看板に描かれている旗は上半分が赤色、下半分が青色。南北が分断されていることを表しています。この旗は、1960年に南ベトナムで結成された反南ベトナム・反米組織「南ベトナム解放民族戦線」のもので、南北統一後一時的に南に成立した臨時政府「南ベトナム共和国」の国旗となりました。1976年6月24日にベトナム戦争後初の南北統一国会が招集され、7月2日の国会決議で正式に「ベトナム社会主義共和国」と国名を変え、南北統一が成し遂げられました。

南部解放記念日には何がある?

舞台となったホーチミン市(元サイゴン)や首都ハノイをはじめ大都市で記念式典やイベント、歌謡ショーなどが開催されます。ただ、共産党が主導となるイベントで娯楽性は高くないため、一般の人々にとっては、5月1日のメーデーと合わせ数少ない連休としての印象が強いです。国内の娯楽施設や観光地はどこも大混雑し、やはり、価格が高くなるので、人によっては家でゆっくり過ごす人もいます。年中ほぼ無休で営業している屋台や個人商店もこの日はお休みだったりします。

そして、市民が一番楽しみにしているのは 花火 ですね。ベトナムでは花火の打ち上げに厳しい規制があるため、大きな打ち上げ花火が上がるのはテトと南部解放記念日(4月30日)、 建国記念日(9月2日) ぐらいです。ホーチミン市では30日の夜9時から15分間打ち上げられます。また、他の省・市ではそれぞれの地域の「解放記念日」に花火が打ち上げられることがあります。

すべてのベトナム人にとっての「解放」ではない

南北統一は北が南を解放するという形となっていますので、解放戦線に共鳴していた人々を除き、南ベトナムの人々にとっては戦いに敗れた日でもあります。戦後にベトナム国外へ逃れたベトナム人たちは、この日を「サイゴン喪失の日」と呼んでいます。北ベトナムを支持していた人々にとっては待ち望んだ喜びの日ですが、南側の人々にとっては悲しみの日であり、敗北を目の当たりにし、戦後苦難を経験した人々が今もまだ健在です。戦後47年経っている為、戦争を知らない世代が多数派を占めるようになってきているとはいえ、複雑な心情を抱え続けている人たちがいるのだということを知っておいたほうが良いでしょう。

海賊が悪!!? 海軍が正義!!?
そんなものはいくらでも 塗り替えられて来た・・・!!!

”平和”を知らねェ子供共と ”戦争”を知らねぇ子供共との価値観は違う!!
頂点に立つものが善悪を塗り替える!!! 今この場所こそ中立だ!!!
正義は勝つって!? そりゃあそうだろ 勝者だけが 正義だ!!!

ワンピース 556話 by ドンキホーテ・ドフラミンゴ

漫画の話です。でも凄い的を得ていますよね。ワンピースの名言の中でも好きなシーンです。

旧市街(Hoàn Kiếm)に行ってみた

ちょっと、雰囲気を楽しみたかっただけで、何かをしたわけではないですが、いつもと違った感じで面白かったです。

交差点などでは、演奏する人達もいてとても賑やかでした。

いつもは、こんな風に道路の真ん中に屋台がありません。
売っているものは、日用品が多かったです。バザーみたいな。

まとめ

ベトナムは日本に比べ、連休が少ないので、みんな楽しそうでした。
ベトナムではコロナとの共存に完全に振り切っているので、マスクこそ着用していますが、日常を取り戻しています。

今の若い世代がこの南部ベトナム解放記念日をどのように捉えているか僕にはわかりません。でも、前向きに捉えている人が多いように感じます。今こうやって普通に生活出来る喜びを単純に楽しんでいます。また、初代国家主席のホー・チ・ミン氏を敬愛しているのは凄く伝わります。
では、また!

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